ASローマ観戦旅行

YOUR GUIDE FOR AS ROMA GAMES
スタディオ・オリンピコのロマニスタ
正式名称 アソチアツィオーネ・スポルティーヴァ・ローマ
Associazione Sportiva Roma S.p.A.
愛称 ジャロロッソ Giallorosso
ラ・ルーパ La Lupa
創設年 1927年
所属リーグ イタリア セリエA
Serie A
ホームタウン イタリア・ラツィオ州
ローマ
ホームスタジアム スタディオ・オリンピコ・ディ・ローマ
Stadio Olimpico di Roma
スタジアムツアー
ミュージアム
なし
練習場 チェントロ・スポルティーヴォ・フルヴィオ・ベルナルディーニ(トリゴリア)
Centro sportivo Fulvio Bernardini (Trigoria)
他クラブとの関係
主なライバルチーム
ラツィオ(ローマダービー)
ファン熱狂度 (4/5)
アクセス難易度 (2/5)
公式ウェブサイト https://www.asroma.com/it

ASローマについて

About AS Roma
ローマの伝統的なシンボル、ルペット
フランチェスコ・トッティ

フランチェスコ・トッティ

ダニエレ・デロッシ

ダニエレ・デ・ロッシ

ロモロ

マスコットのロモロ(Romolo)

ASローマ(正式名称はアソチアツィオーネ・スポルティーヴァ・ローマ)は、ローマのスタディオ・オリンピコを本拠地とするクラブ。

クラブカラーは黄色と赤で、愛称はジャッロロッソ(Giallorosso)、ラ・ルーパ(La Lupa・オオカミの意)など。

クラブの創設は1927年7月で欧州の他の有名クラブに比べるとやや遅めですが、これは当時北部勢に圧倒されていたことに対する対抗措置としてアルバ(SS Alba)、ローマンFC(Roman FC)、SGSフォルティトゥード・ローマ(SGS Fortitudo Roma)の3クラブが合併して発足したから。

ASローマの永遠のライバル、SSラツィオも実はその合併に参加する意思を表明していたものの、結局合併は拒否。そういった経緯もあってASローマとSSラツィオの対抗意識は想像を絶するものがあり、この2チームが対戦するダービー、いわゆるローマダービー(Derby di Roma)は文字通り街を二分する戦いで、ティフォージの衝突や警官隊とのイザコザなども頻繁に発生するほどです。

とはいえ、ローマ市内、特に下町地域での人気は圧倒的にASローマの方が高く、ラツィアーレはどちらかというとローマ郊外、つまり市街地以外のラツィオ州内に多いとされています。80年以上に渡ってローマで我が街の誇り高きクラブとして存在してきたASローマですが、成績はいまひとつの時代が長く続いていました。

コッパ・イタリア(現・TIMカップ)の優勝回数こそ9回とユヴェントスに次ぐ成績を誇りますが、スクデット獲得回数はわずか3回に留まっています。

黄金時代と呼ばれる時代は1980年代前半で、カルロ・アンチェロッティ、ブルーノ・コンティ、ジュゼッペ・ジャンニーニ、ロベルト・プルッツォなどスター選手を擁した1982/83シーズンにはスクデットを獲得、1983/84シーズンにはチャンピオンズカップ(現・UEFAチャンピオンズリーグ)で準優勝するなど好成績を収めました。特にチャンピオンズカップ準優勝については、決勝戦が偶然にも地元ローマ開催だったにも関わらず、リヴァプールに1-1(PK5-3)で敗れるというもうあと一歩だったこと、そしてそれ以降は現在に至るまで決勝戦にはたどり着けていないこともあって、未だにロマニスタの間では語り草になっています。

その後もまた低迷の時代が続きますが、1992年にフランコ・センシがチームを買収し会長に就任すると、積極的な監督起用と補強で徐々にクラブは自力をつけていくことになります。

1993年に下部組織出身で、生まれも育ちも根っからのローマ人、フランチェスコ・トッティがわずか16歳でセリエAデビューを飾り、1997/98シーズンには弱冠20歳の若さでキャプテンに就任。前代・ジャンニーニの跡を次ぐ「王子(イル・プリンチペ)」と呼ばれるようになります。

1999/00シーズンには優勝請負人として名将ファビオ・カペッロが監督に就任、このシーズンこそライバルのSSラツィオにスクデットを獲得される屈辱を味わうことになるものの、トッティ、バティストゥータ、モンテッラ、中田英寿ら豊富なタレントを擁して、翌2000/01シーズンに18シーズンぶりに悲願のスクデットを獲得。この時はローマ市街地でロマニスタによる祭りが1週間も続き、古代競技場遺跡のチルコ・マッシモには10万人以上の市民が集結しての記念パーティー&野外ライブが行われました。

2010年、長きに渡ってASローマの実権を握ってきたセンシ一族(フランコ・センシは2008年に死去、その後は娘のロゼッラが会長)が多額の負債を抱え破産状態となった為、株式を売却せざるを得ない状況に陥りました。クラブはウニクレディト銀行の管理下に置かれ売却先を探していましたが、2011年にイタリア系アメリカ人トーマス・ディベネデットによって、翌年には同じくイタリア系アメリカ人のジェームス・パロッタがクラブを買収します。

しかしそのパロッタのもとでクラブは乱高下を繰り返します。

パロッタの肝いりで招聘したリュディ・ガルシアの時代には2013-14シーズンにクラブレコードとなる勝ち点84(優勝はユヴェントスで勝ち点102)を上げるなどしたものの、2016年には成績不振でルチアーノ・スパレッティを再登板させます。

スパレッティは2016-17シーズンも続けて指揮を執りましたが、シーズンこそ2位で終えたものの、トッティの起用法を巡って各方面(世論含め)対立、そのトッティは結局このシーズンをもって引退することになってしまったため、「スパレッティはトッティを引退に追い込んだクソ野郎」としてローマ人の記憶に刻まれることになります。

2017-18シーズンからはクラブOBでもあり、サッスオーロで成功を収めたエウゼビオ・ディ・フランチェスコが監督に就任。モハメド・サラーをリヴァプールに売却せざるを得ないスタートとなったものの、その売却益でパトリック・シックやアレクサンダー・コラロフら実力者を補強。セリエAこそ3位フィニッシュとなりましたが、このシーズンはUEFAチャンピオンズリーグで1983-84シーズン以来の準決勝進出を果たします。特にアウェーで1-4で完敗しながらもホームで3-0で勝利して劇的な勝ち抜けを決めた準々決勝のバルセロナとの戦いは確実に歴史に残るものでした。

そのディ・フランチェスコも翌年には成績不振であっさり辞任となり、中継ぎのクラウディオ・ラニエリを経て、2019-20シーズンからはポルトガル人のパウロ・フォンセカが指揮を執っています。

ただ、この数年は会長のパロッタのローマへの愛の薄さ(ローマにそもそも来ない)、編成を全権委任したモンチがクラブを荒らすだけ荒らして去っていたこと、遅々として進まない新スタジアム建設計画、そして何よりクラブの象徴だったトッティ、デ・ロッシ、そしてフロレンツィまでがローマを離れなければならなくなったことから現体制への批判は根強く、一刻も早いクラブの売却を望む声が大きくなっています。

スタディオ・オリンピコへの行き方&観戦方法

Getting to Stadio Olimpico di Roma

ローマ市街地の北部、テヴェレ川沿いにあるモンテ・マリオの丘のふもとにあるスタジアムで、ASローマとSSラツィオがホームとして使用しています。

フォロ・イタリコ(Foro Italico)と呼ばれるスポーツ施設が集まるエリアにあり、イタリアオリンピック協会(CONI)本部なども敷地内にあります。

元々はムッソリーニの命で建設された複合スポーツ施設で、元々の名称も「フォロ・ムッソリーニ(Foro Mussolini)」というものでした。正面広場のオベリスクに彫られた「MVSSOLINI」の彫刻や、モザイクに埋め込まれた「DVCE(=ドゥーチェ、親方の意味でムッソリーニの愛称)」にその名残を見ることができます。

1937年に前身となるスタディオ・デル・チプレッシ(Stadio del Cipressi)として開場。

1953年に大改装が行われたことで収容人数が10万人になったことからスタディオ・デイ・チェントミラ(Stadio dei Centomila)と呼ばれるようになり、1960年のローマ・オリンピック開催に合わせて正式名称がスタディオ・オリンピコ(Stadio Olimpico)と改称されました。

1990年のFIFAワールドカップ・イタリア大会開催時に改修が行われ、現在も見られる白い屋根を全観客席の上部に設置。このワールドカップではイタリア代表のグループステージ全3試合と決勝トーナメントの2試合、決勝の西ドイツvsアルゼンチンの試合が開催されています。

内部はすり鉢状の一層式で、傾斜が比較的ゆるやかな構造です。

陸上トラックや侵入防止用の溝があるためピッチまではやや離れていますが、よほど前の方でなければ見にくい感じではありません(最前列〜5列目あたりまではあまりに見にくいため、通常チケット販売は行われません)。

ローマのホームゲーム時は南側ゴール裏(クルヴァ・スッド Curva Sud)がウルトラによる応援の中心となります。北側ゴール裏の斜め部分がアウェーに割り当てられますが、それ以外は基本的にすべてローマ側となり、アウェー側の応援は一切不可となります。

スタディオ・オリンピコ前のムッソリーニ・オベリスク
スタディオ・オリンピコ内部
スタディオ・オリンピコ シートマップ概略図

スタディオ・オリンピコへの行き方

ローマ市内から

ローマ地下鉄A線の車内

ローマ地下鉄A線の車内

ローマ地下鉄改札

ローマ地下鉄の改札に設置されたTap & Goの読み取り機

スタディオ・オリンピコはローマの歴史的中心部(Centro Storico)から見てやや北の外れにあり、地下鉄では直接アクセスできないのでトラムかバスの利用が必須です。

最もわかりやすく、かつ地元民も多く利用するのはポポロ広場の北側に隣接するフラミニオ広場(Piazza Flaminio)を起点とする行き方。

フラミニオ広場には地下鉄A線のフラミニオ駅(Flaminio)があり、バーガーキングの前にあるトラム乗り場からトラム2番に乗って終点のマンチーニ広場(Piazza Mancini)へ。試合日ならここから大多数の人の波に乗って歩くこと約5分、ドゥカダオスタ橋を渡るとスタディオ・オリンピコが目の前に現れます。

中心部から行く場合はあえてこの方法を取る必要はありませんが、バチカン周辺から向かう場合はリソルジメント広場(Piazza del Risorgimento)か地下鉄A線オッタヴィアーノ駅(Ottaviano)から32番のバスで向かうことも可能。ただ、試合開催日はこのルートは渋滞が激しく、オリンピコに近づくにつれ停留所が曖昧になっていくので注意。

テルミニ駅からは前述のとおりフラミニオ経由で向かうことをオススメしますが、910番のバスで直接向かうことも可能。ただし、場合によっては1時間近くかかることもあります。

ローマ市内の地下鉄、バス、トラムの乗車券は共通です。1回券(BIT/Biglietto Integrato a tempo)は100分有効で1.50ユーロ。ただし基本的に1方向でしか利用できず、かつ地下鉄→バス・トラムの乗継は可能ですが、バス・トラム利用後の地下鉄乗車は不可なので注意。24時間有効のROMA 24Hは7.00ユーロです。

乗車券は地下鉄駅の自動販売機、テルミニ駅構内の売店、町中のタバッキなどで購入可能。乗車券は地下鉄は改札がありますが、バス・トラムでは乗車後に検札機に挿入する必要があります。方向を間違えると入らないので券面の矢印を確認しましょう。

手持ちのクレジットカードがタッチ決済に対応している場合は「tap & go」が利用できます。地下鉄の改札やバス・トラム車内でタッチすれば自動的に1回券(1.50ユーロ)が引き落とされ、1日で5回目の利用以降は自動的に最初の利用から24時間は同額(7.00ユーロが24時間での上限額)となります。

地下鉄駅の自動販売機周辺には未だにスリや物乞いがいることも多く、乗車券購入にもたついている間に財布や物を盗まれるということもありえますので、もし可能であればぜひtap & goを利用してみてください。

日本からスタディオ・オリンピコへ

ローマにはフィウミチーノ空港(Fiumicino/FCO)とチャンピーノ空港(Ciampino/CIA)の2つの空港がありますが、後者は欧州内のLCC専用空港なので、一般的に使うことが多いのはフィウミチーノ空港です。

アリタリア航空(AZ)が東京/成田・東京/羽田から直行便を飛ばしているので、とにかく所要時間を短く行く場合はこれ一択になります。

ただ、ドイツなど欧州各地のめぼしい空港からは大抵フライトがあるため、行き帰りの出発時間、滞在時間などのバランスを考慮して経由便を選択するのもオススメです。

効率を確保しつつも費用重視の場合は、エミレーツ航空(EK)、カタール航空(QR)、ターキッシュエアラインズ(TK)などがオススメ。フライト時間はやや長くなりますが、いずれも出発は行きも帰りも夜なので同じ旅行日数でも日系・欧州系よりも現地滞在時間は長くなるケースがあります。

ローマ練習場「チェントロ・スポルティーヴォ・フルヴィオ・ベルナルディーニ(トリゴリア)」への行き方

チェントロ・スポルティーヴォ・フルヴィオ・ベルナルディーニ(トリゴリア)

ASローマの練習場「チェントロ・スポルティーヴォ・フルヴィオ・ベルナルディーニ Centro Sportivo Fulvio Bernardini」、通称「トリゴリア Trigoria」はローマ市街地の南約20キロ南にあります。

練習は通常非公開ですが、稀に公開されることもあります。入り口ゲート前で選手の出入り・出待ちは可能。平日でも多くのロマニスタが集まっていることが多いですが、クラブとロマニスタの間で揉め事があったりすると暴動のようになることがあるので注意。

公共交通機関で行くことが可能。まず地下鉄B線でエウル・フェルミ駅(EUR Fermi)まで行き、駅そばのアルテ通り(Via dell’Arte)のバス停から707番(Valgrisi行き)に乗り約30分ほどのディーノ・ヴィオラ広場(Piazzale Dino Viola)で下車。地下鉄B線ラウレンティーナ駅(Laurentina)前からタクシーで行くことも可能です。

ASローマをより深く応援するために覚えておきたい歌

Chants and Songs of AS Roma

Roma, Roma

「Roma, Roma(ローマ・ローマ)」は1975年に発表されたローマ出身の歌手アントネッロ・ヴェンディッティの楽曲。現在はクラブ公式曲であると共にホームゲームでは必ず試合前に観客が合唱する全編ローマ方言で歌われる名曲です。徐々に盛り上がっていき、最後の「ローマ、ローマ、ローマ」の部分では音楽がフェードアウトし、観客の声だけが大音量でスタジアムに響き渡ります。

Roma Roma Roma, core de ‘sta Citta
ローマ、ローマ、ローマ、この街の心よ

unico grande amore de tanta e tanta gente che fai sospira.
多くの人の心を虜にする、唯一にして偉大なる愛よ

Roma Roma Roma, lassace canta,
ローマ、ローマ、ローマ、歌わせてくれよ

da ‘sta voce nasce n’coro so’ centomila voci ciai fatto ‘nnamora.
この声から十万の声が生まれ、そして私たちは恋に落ちるのだ

Roma Roma bella, t’ho dipinta io
ローマ、ローマ、美しきローマ、あなたが私を染めたのだ

gialla come er sole rossa come er core mio.
太陽のように黄色く、そして私の心のように赤く

Roma Roma mia, nun te fa ‘ncanta
ローマ、ローマ、私のローマ、決してあなたは惑わされないで

tu sei nata grande e grande hai da resta.
あなたは生まれながらにして偉大で、永遠にそうあり続けるのだ

Roma Roma Roma, core de ‘sta Citta
ローマ、ローマ、ローマ、この街の心よ

unico grande amore de tanta e tanta gente m’hai fatto ‘nammora.
私を虜にした、唯一にして偉大なる愛よ

Grazie Roma

ローマの勝利後に必ず流される曲で、1982-83シーズンのスクデットを記念して「Roma, Roma」のアントネッロ・ヴェンディッティが制作した楽曲です。

「グラーッツィエローマー」と何度も繰り返されるので耳に残る曲。

Forza Roma, Forza Lupi

ローマ出身のフォークシンガー、ランド・フィオリーニの楽曲。1978年〜1983年の間は正式にクラブアンセムとして用いられていた時代もありましたが、これは当時の会長の個人的な意向によるもので、現在では試合前のウォーミングアップ時間などに流されています。

ロマニスタに人気のある曲のひとつで、合唱する時はサビの部分(Non c'avemo er core grosso〜の部分)で声量が大きく変わるのが特徴。

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