Villarreal CF SAD
正式名称 | ビジャレアル・クルブ・デ・フトボル Villarreal Club de Fútbol S.A.D. |
愛称 | イエロー・サブマリン El Submarino Amarillo |
創設年 | 1923年 |
所属リーグ | スペイン ラ・リーガ(リーガ・エスパニョーラ) Liga Española |
ホームタウン | スペイン・バレンシア州 ビジャレアル(バレンシア語ではVila-Realヴィラ・レアル) |
ホームスタジアム | デ・ラ・セラミカ Estadio de la Cerámica |
スタジアムツアー ミュージアム |
なし |
練習場 | シウタート・デポルティーヴァ Ciudad Deportiva |
他クラブとの関係 主なライバルチーム |
CDカステリョン(カステリョン県ダービー) ヴァレンシアCF(コミュニティーダービー Derbi de la Comunitat) |
ファン熱狂度 | (3/5) |
アクセス難易度 | (4/5) |
公式ウェブサイト | https://villarrealcf.es/ |
ビジャレアルCFについて
About Villareal CFビジャレアルCFは地中海にほど近い、スペイン・バレンシア州ビジャレアルに本拠地を置くクラブです。
「レアル」とはスペイン語で「王」を意味します。レアル・マドリーやレアル・ソシエダなどはスペイン王室からクラブに対して称号を与えられた意味での「レアル」がクラブ名に冠されていますが、「ビジャレアル」の「レアル」はまた別の意味があります。
町の名前が「ビジャレアル Villareal」、つまり「王の町」ということになるのですが、スペイン王国が成立する前に存在したアラゴン王国(Reino d'Aragón)に由来しています。
また、町の名前は2006年に正式にバレンシア語の「Vila-real ヴィラ・レアル」に改称されていますが、クラブ名はスペイン語(カスティーリャ語)の「ビジャレアル」のままとなっています。
クラブの創設は1923年と他の国内有名クラブに比べるとやや遅めで、1929年に国内リーグに参戦するも4部(現在は5部相当)のディビシオネス・レヒオナレスという地域リーグからのスタートで、約60年後の1992-93シーズンでようやくセグンダ・ディビシオン(2部)に昇格した、言ってみれば田舎の小さなクラブに過ぎない存在でした。
90年代はセグンダ・ディビシオンの中位〜下位に踏みとどまっていましたが、1997年スペイン随一のタイルメーカー「パメサ・セラミカ」の会長フェルナンド・ロイグ・アルフォンソが会長に就任し、「3年以内のプリメーラ(1部)昇格」を高らかに宣言、ここからビジャレアルの歴史が変わり始めます。
1997-98シーズン、セグンダで最終順位4位で終えたビジャレアルは昇格プレーオフに臨み、2試合合計1-1だったもののアウェーゴールの差で勝利。会長の宣言からわずか1年で悲願のプリメーラ昇格に成功します。
意気揚々と望んだ1998-99シーズンのプリメーラ初挑戦は18位で降格となってしまいますが、翌シーズンは3位ですぐにプリメーラへ復帰。
2002年夏にはUEFAインタートトカップ(現在は廃止)に初出場し準優勝、翌年にはファン・ロマン・リケルメがバルセロナから加入し、2003年のインタートトカップ優勝と2003-04シーズンのUEFAカップ出場権を獲得し、さらには名将マヌエル・ペジェグリーニが監督に就任したこともあり、2000年代前半は徐々にクラブの認知度が世界的に上がってきた時代といえます。
2004-05シーズンはプリメーラ3位、2005-06シーズンはUEFAチャンピオンズリーグ初出場ながらベスト4(アーセナルに2戦合計0-1で敗退)ともはや地域レベルのクラブではなくなり、CLとの並行に失敗し大低迷して降格してしまった2012-13シーズン以外は安定した成績を残しています。
2020-21シーズンはヴァレンシア、セヴィージャ、パリ・サンジェルマン、アーセナルなどの監督を歴任したウナイ・エメリが監督に就任。さらにライバルのバレンシアからキャプテンのパレホ、コクランを電撃的に獲得、レアル・マドリーからレンタルで久保建英を獲得し、充実の陣容で悲願の初タイトル獲得に挑戦します。
「Villareal」の日本語表記は統一されたものがなく、メディアなどでも「ビジャレアル」「ビリャレアル」「ヴィジャレアル」などの表記が混在している状況です。当サイトではクラブ名は現地の発音に忠実に、町の名前は日本で一般的なものを使用すること、を原則としていますが、本クラブに関しては日本で最も表記が一般的と思われる「ビジャレアル」を使用しています。
エスタディオ・デ・ラ・セラミカへの行き方&観戦方法
Getting to Estadio de la Cerámicaビジャレアルのホームスタジアム、エスタディオ・デ・ラ・セラミカはかつて「エル・マドリガル El Madrigal」と長く呼ばれていたスタジアムで、2017年に現在の名に改称されました。
1923年に建てられた古いスタジアムで、数度の改修を経て近代化されているものの、キャパは約25,000人と地方クラブとしてもやや小さな箱になっています。
外壁は地域の産業かつ、クラブをトップレベルに引き上げるきっかけとなったタイルで覆われ、鮮やかなタイルが印象的。夜に行くとLED照明でライトアップされ、さらに美しい姿が古い町並みに浮かび上がります。
エスタディオ・デ・ラ・セラミカへの行き方
ビジャレアル市内&バレンシア市内から
ビジャレアルの町の中心部にあるので、スタジアムへは歩いていくのが基本。
市街地の中心にあるサン・ジャウメ教会(Església de Sant Jaume de Vila-real)や、聖パスクアル聖堂(Basílica de Sant Pasqual)から歩いて10分ほどで、ほぼ1本道なので迷うことはまずありません。
バレンシアからビジャレアルへは電車(セルカニアス・バレンシア)で約1時間20分なので、日帰りは十分可能。
ビジャレアルからの終電は22時台とやや早めなので、ナイトゲームの時はビジャレアル泊にするほうが無難です。
日本からビジャレアルへ最短で観戦に行くにはへ
ビジャレアルの最寄りの空港はバレンシア空港ですが、バレンシア空港は基本的に国内と欧州内の短距離路線しか発着していない空港です。
そのため、最短で行く場合は日本からバレンシアへの便があるヨーロッパの空港へ飛び、乗り継いでバレンシアに入る、ということになります。
このルートであれば、使いやすいのはルフトハンザ航空(フランクフルトかミュンヘン経由、日本〜ドイツ間はANA便でも可)、ターキッシュエアラインズ(イスタンブール経由)、KLMオランダ航空(アムステルダム経由)あたり。
日本からのフライトは、より選択肢の多いマドリードやバルセロナ発着として、国内線のフライトか、AVE(スペイン国鉄の高速列車)でバレンシアを往復するというのも方法としてはアリですが、列車利用の場合は日帰りは難しいのでバレンシアかビジャレアルで1泊する必要があります。